まず最初に主の愛がある
主は
私が罪人であった時に
すでに深い愛を注いでくださっていた
信仰とは
その満ち溢れんばかりの
主の愛を確信すること
その信仰によって私たちは義とされる
他のものは何も必要とはされない
お金も家族も地位も名誉も周囲の人間関係も全てを失っても
仕事の致命的な失敗があっても
主の愛はそこに存在し
主の愛を信じることで
私たちはは義とされる
もう義とされているのだ
主の愛から私たちを引き離すものはなにもない
私たちがどのような状態にあろうとも
どのような精神状態にあろうとも
主の愛は、厳然たる事実としてここに存在します