愛されていないあなたに

イエスキリストの愛を

adiction

adictionとは、
何かにふけること、常用癖、専心


ちょっとした虚しさ、寂しさは
不意に人の心に襲ってくる
人の心はその隙間を埋めようと彷徨う

最初、それは、
ちょっと暇だなぁという感覚だけかもしれない
何か面白いことないかなぁという感覚だけだったかもしれない

それはあなたの魂の飢え乾き。
あなたはそれを何かで埋めようとする
それは麻薬のような薬物やアルコールとまで行かなくても、
ゲーム
仕事、恋愛、ギャンブル、ネット、なんでも買い込んでしまう買い物依存、性へののめり込みなど
身近にいっぱい存在する

それらによって
飢え渇きが即効的に、また劇的に癒されるような気持の高まりを与えてくれるかもしれない
だが、それらはやがて過ぎ去るものであり、
すると「もう一回」という気持になって
気づいてみると「やめられない。止まらない」という状態にまでなっている
それらが欲しいために、犯罪を犯すということになったり、金も家も家族も仕事も人間としての誇りも全てを失ってしまうという状況に追い込まれてしまう人もいるだろう

それらの根は罪であり、その結果は霊の死であるからだ


イエスキリストは言われた
「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。 (ヨハネによる福音書 7:37)

魂の飢え乾きは清いもので満たされなけばならない。
そして、その結果は永遠の命です。
永遠の命とは肉体ではなく霊に関することで、それはたいへん素晴らしいものです



イエスキリストは、
人目を避けて井戸に水を汲みにきた"サマリアの女"にこう言った。
彼女は5回の結婚に失敗し、不倫関係にある男と同棲しており、男性依存症という形で破滅の人生を送っていた。
「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。 しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。 (ヨハネによる福音書 4:13)