愛されていないあなたに

イエスキリストの愛を

天国への道

救われるためにはどうしたらいいのでしょう?
とにかく苦しい。もがいています。いや、もがく気力すらありません。
私はどうしたらいいのでしょう?

仲良しさんに癒してもらうために教会へ行ってみますか。
聖書に書いてある、
隣人を愛せよ、汝の敵を愛せよ、を頑張っていきなり実行してみましょうか。
立派な「教え」ではないですか。
しかし人間の個人の我慢、忍耐でそれを行い得ても
いつか力尽きます。
だって人間なんてちっぽけな罪深い存在だもの。
自分や他人、どんなに優れていたとしても、「人」に望みをおけばそれは失望に終わります。



目的地に着くためには
そこへ至る道をまず歩まなければなりません。

まずは、自分の取り返しのつかない過去の罪、
そして罪深い性質を自覚し
「悔い改める」ことから全ては始まります。

その罪は重く深い。。。

洗礼者ヨハネは、イエス様、神様への道、天国への第一歩を説いた。
それは、預言者イザヤの言葉の書に書いてあるとおりである。すなわち「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』。 (ルカによる福音書 3:4)
「悔い改めよ」と。


取り返しのつかない罪。罪による苦しみ。戻らない過去。後悔。
私の持つ罪深い性質。現在進行形で、怠惰で前向きになれず、人を憎み愛せない。罪をおかしつつある現在。
人はその闇に恐れおののき絶望します。
しかし「悔い」て深みにはまるばかりでなかなか「改め」ません。

しかし時には
少し前向きになって
自分の力で「改め」ようとするかもしれません。
「新しい自分になってやる」と。
しかし実際の罪は
自分が考えている以上に重く深いのです。
それは一生良い働きをしても、命を差し出しても償えないほどの負債。

罪の大きさ深さを身にしみればしみるほど
自分の無力さを思い知ります。
事態が、自分の置かれれている状況が、自分の罪が、大きすぎて
もはや自分ではどうしようもないのが現実であると。いつか気づくでしょう。

イエス様は
このどうしようもなく大きい負債を
十字架で贖ってくださった。帳消しにした上、さらに恵みを与えて下さった。

悔い改めようとする時、
頼るべきはちっぽけな自分の力ではなくイエス様です。



救いに至る道
悔い改めてイエス様の十字架により頼むこと。
まずはそこから全てが始まる。